本家関連エントリー
最終回!(和田中のPTA廃止の話題も) (2008.3.24) 婦人公論のPTA連載、最後の二回! とにかくこれでおしまい! (2008.5.23)
定期的に「仲間」の顔を見て、一緒に仕事をするというのは、すごく健全なことだ。
ましてや子どもの育ちと学びに直接貢献できるなら、なおさらのこと。
この1年間、へろへろになりながらも、かつて一人だけで黙々と文章を書くだけだった日々に比べて格段に精神状態がよいのも事実なのだ。■ 2007年を数字で振り返る
連載も最後なので、自分自身の1年間のPTA活動の報告および感想。
4月に役員の任期が始まってから「航海日誌」のつもりで、日々の活動を書き留めている。学校やその他の会合への「出動日数」や「活動時間」はほぼ正確にわかる。これまで基本的に、取材した内容をもとに連載をつないできたけれど、その根っこにある自分自身の「PTAの1年」を総括してみてもいいかな。
まず、すべての始まりの4月。
入学式、新入生の保護者の前で「PTAについての説明」をしたのが、いわば初仕事だった。時間はわずか1分で、具体的な活動内容について述べられるはずもなく、とにかくPTAとのファーストコンタクトを「いやな記憶」にしないために、スマイル、スマイルで「一緒にやっていきましょー」と述べたと記憶している。「参加は自由なんですよー」と言えないのは心苦しかったけれど。
そして、PTAの実務の開始。
実をいうと、4月、5月の記憶は「真っ白」だ。あまりよく覚えていない。年度替わりでただでさえ業務が多いのに、こちらはみな「新人」である(役員の「全とっかえ」はPTAでは珍しくない)。右も左もわからないところに、教育委員会やら、PTA連合やら、区役所やら、警察署やら、ありとあらゆる方面から書類が連日ばたばたと届いて、目を白黒させながら処理に追われた。
メモによると、4月、始業式以降の平日は、たった1日をのぞいて、すべてPTAの仕事で出ている。ゴールデンウィークで一息ついたものの、5月も運営委員会や総会で忙しく、学校通いの日々だった。数字を挙げるなら、出動日数と活動時間は──
4月 17日・40時間
5月 14日・37時間
といった具合。
ぼく自身の感覚として、この数字は、子育て現役世代の親が、ボランティアで引き受けるものとしては重すぎる。なかには「この程度?」という感想もあるかもしれないけれど、ぼくがこれまで人に見せたかぎりでは100パーセント「こんなに??」と驚かれた。やった人にしかわからないことがあまりに多いとはいえ、せめて数値化できる部分だけはきちんと数字で示そうと思った次第。
誤解なきように言っておくと、ぼくが特別、役員の中で働き者というわけではないし、ぼくが知っている他校の役員さんも、「うん、だいたいこんなもの」という反応が多い。少なくとも世田谷区や近隣地域では普通のことなのだと思う。
今になって、当時の「真っ白」になってしまった心理を分析すると、あまりに知らないことばかりで「学校に顔を出さないと不安だった」というのが大きい。そして、実際に行ってみると、処理しなければならない仕事が山積みになっており、とにかく走り続けた2ヵ月だった。
とはいえ、その2ヵ月が終わって楽になったかというと、それはまた別問題。
6月 18日・30時間
7月 15日・33時間
8月 5日・23時間
うーん、けっこう働いている。一体なにをしていたかというと……2学期以降の活動の仕込み、といったところ。たまたま大きな学校行事があったし、またPTA連合のスポーツ大会の「ブロック大会」開催担当でもあった。手探りしつつ、話し合い、準備を進めた。ちなみに、夏休み中の8月にもけっこう出ているのは、区の教育フォーラムだとか、地域の教育研修会といったものが、ここぞとばかりにあったから。
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