川端裕人さんの「みんなのPTAを探して」(「婦人公論」連載:2007/4〜2008/3)のバックナンバーを「ブログ版」として公開しています。(著者公認)
 はじめていらっしゃった方は、まずは著者本人の「ごあいさつ」をお読みください。
管理人:Pさん
 

2007年10月29日

第6回 不審者対策、どうしてますか?


本家関連エントリー
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 第6回、不審者対策どうしていますか (2007.10.30)


 懸念するのは、小さい頃から「他人を信じるな」と言われて育った子らがつくる未来の社会はどんなふうだろう、ということ。
 すごく心配だ……。


■ PTAの「イベント屋」


 文化厚生委員会について述べるのに、最初に注釈しておかなければならないのは、「厚生」の部分。戦後の貧しい時期に立ち上がった初期のPTAでは、子どもの生活環境の向上がひとつの大きなテーマだった。「PTAなくして、学校給食なし」とも言われ、多くのPTAに独立した厚生委員会、給食委員会、さらには、保健委員会、衛生委員会といったものが置かれていた。なのに、完全給食が実施された後はいつか活動の中での重要度が落ちてしまったのかもしれない。世田谷区の場合、今では文化厚生委員会として「厚生」の名が残っているのはまだいい方で、ぼくの属するPTAには組織図のどこを見ても「厚生」の文字はない。

 今とりあげるのは「文化厚生」というより、むしろ「文化」委員会。「厚生」系の話は、いずれ機会があったら。

 文化委員会には、異称がたくさんある。文化教養委員会、教養委員会、成人教育委員会、家庭教育委員会……それぞれ力点が微妙に違うかもしれないが、基本的にはやっていることは同じだ。
 ぼく自身、この委員会活動をしたことがあり、それをとても楽しんだ。だから、ああだこうだと言いたいことがたくさんあるのだが、蘊蓄を傾ける紙幅はない。

 あえてひとことで言ってしまえば、文化委員会は「イベント屋」だ。少なくとも、そのように思われているし、それを裏付けるような活動をしている。

 具体的には、講演会やワークショップなど開いて、会員の学習の機会をつくる。教育や子育てをめぐるテーマで講師を招いての講演はごく標準的で、「厚生」の流れを汲む給食試食会も多く行われている。それに加えてミニコンサートや、親子サッカー教室、地元のシニアグループによる「親子竹とんぼ教室」といった、親子コミュニケーションに資するイベントもたくさんある。予算を抑えたければ、会員内で講師を探したり、相互学習をするのも当然アリだ。

 こういったことを文化委員会は、自分たちで企画して、実現する。ずっと会いたかった講師を呼べるかもしれないし、学校や教育をめぐる長年の謎が解明できるかもしれない。会員の学習になったり、PTAの絆が強まったりすることであれば、なんだってできてしまう。

 ね、楽しそうじゃないですか?

 そして、これだけ楽しげな文化委員会こそ、実を言えばPTAの王道だ。つまり、PTAとは、文化委員会なのである。
 などと力説すると、PTAを知る人には驚かれる。一方、知らない人には……どのみち、ちんぷんかんぷんだ。

 でも、PTAの本来の目的を思い出してほしい。「(会員が)お互いに学習しあい、その学習に基づいた活動をいっしょに進め、よい保護者、よい教師になるように努める」、そして「その成果を家庭教育や学校教育に役立てると共に、お互いの協力によって、地域社会の環境づくりや子どもの校外生活の充実のための活動を活発に進める」と世田谷区の「しおり」には書いてあったではないか。

 一般に、PTAとは「子どものため何かをする」団体だと思われている。そして、それは正しい。この「目的」の後半部分がそれに相当する。けれど、前半部がないと後半部は成立しないことが、しばしば忘れられている。「子どものため」で思考停止してしまい、毎年、同じことを繰り返すだけなら、むしろ危険だ。
 だから、文化委員会が大事になる。あえて、PTAとは文化委員会なのだと力説してみるのは、その大事な部分を常に意識させてくれるからだ。

 ただ、最近、気になっていることがある。ぼくが知る範囲内で、その活動が次第に「年に三回の家庭教育学級の開催」といったふうに、「決めごと」になりつつあることだ。

 ちなみに、家庭教育とは学校教育に対する概念で、保護者が家庭で行う教育のことだ。つまり「よい保護者」になるために行うのが、家庭教育学級だ。さっき挙げた活動例はこの枠内にだいたい収まる。ここでは、教師が「よい教師」になるための事業は、PTAにはまったく期待されていない。これも少し寂しい。現在、教員がPTAに積極的に参加するのは難しいのは重々承知の上で、家庭教育の枠を越えて「相互の学習」が実現することはないのかなあ、と考えさせられる。

■ 子どもの安全という大テーマ


 校外委員会について。

 さっきPTAとは文化委員会だなどと言っておきながら、ここですぐに前言を翻さざるをえない。今、多くの人が校外委員会のことを「もっとも重要」と感じているらしいからだ。

 ぼくはPTA任意加入論者なので(ぼくが「論者」であることには関係なく、PTAは入退会自由なのだが)、よくPTA会員に議論をふっかける。「自由な入退会ができる旨を明記した方がいいと思うんだけど、ご意見いかが?」と。それに対して「PTAが弱くなると子どもがかわいそう」と言われることが多い。「具体的には?」と聞き返すと、「パトロールなど子どもの安全を守る活動や地域との連携ができなくなるから」という主旨の返答がある。

 さらに、2005年に文部科学省が行った地域の教育力に関する実態調査」では、「地域の教育力向上のため、力を入れるべきこと」という設問に、実に67パーセントの人が「子どもの安全を守る活動」と回答した。次点の「異なる考えを持った人たちや年齢の人たちとの交流」を倍近く引き離したダントツの首位だ。

 なるほど、「安全神話の崩壊」が叫ばれる現代社会において、「子どもの安全」は社会の一大テーマで、PTAのように子どもにかかわる地域団体にとってはまさに最優先課題なのだ。
 そして、それが、校外委員会の仕事、ということになる。
 

■ 地域とともに


 校外委員会は、ほかの委員会とくらべて特殊な成り立ちをしている。
 通常は、学級PTAから選ばれた委員で構成されるのに対して、校外委員会の場合は、地域班(地区班)で選ばれたメンバーがそこに加わるのだ。

 地域班とは、読んで字のごとく、学区を細かく分けて保護者会員を組織したものだ。地域班のメンバーはすべて学級PTAのメンバーでもあって、つまり、PTAの組織は、学級単位と、地域単位、二重の組織になっている。そして、保護者パトロール、地域子ども集会、廃品回収など、地区ごとに行うのが合理的な活動は、地域班が担う。基本的には、子縁(子どもの縁)で集まっているPTAにおいて、地縁が一番色濃く出る部分だ。全国的にはどうか分からないが、世田谷区ではだいたいこうなっているようだ。

 そして、その地域班を内包しつつ、「校外」のすべてを担当するのが、校外委員会だ。学校の外のこと、特に安全にかかわることなら首を突っ込み、窓口となる。世田谷区の場合、青少年地区委員会なるものにも参加するし、警察署が主催する交通安全のための「母の会」にも加わる。学区の安全ヵ所、危険ヵ所を調査して安全マップ(子どもたちが作る「地域安全マップ」の保護者版に近い)を作ったり、それにもとづいて、区に信号機の整備やら、街灯やの設置やらを要望したり、とにかく子どもの安全に関係あることなら、あらゆる手を尽くす。

■ きっかけは池田小事件


 こういった活動が重要であることは認めつつ、すごくヤバい部分もあると感じていて、それについて触れておく。
 交通安全と防犯の2分野がPTAの「子どもの安全を守る」活動の柱なのだが、最近、会員の意識が防犯の方に集中しているように感じられる。何か痛ましい事件が起きた直後などは、特にそうだ。というより、2001年の池田小事件以来、PTAは長い「防犯モード」に入っているのかもしれない。校内で、あるいは通学路で、子どもたちが事件の犠牲にならないよう心を砕き続けている。

 この時、問題になるのは、誰もが認める万能の防犯対策など、どこにもないということだ。素人がパトロールをしても、防犯パネルを自転車につけても、どれだけ犯罪抑止力を持つか分からない。ただ、何がせずにはいられない気持から、次々と「これなら」と思える策を取ってきた、というのが今世紀に入ってからのPTA防犯対策ではないだろうか。
 こういう時、我々が常に気に掛けておかなければならないのは、絶えざる議論と検証、それに基づいた軌道修正だ。その時、効果とともに当然あるはずの「副作用」も考えなければならない。
 副作用といってもピンと来ない人がいると思うので……ぼく自身が気になっている具体例。

 今、ぼくたちは子どもたちに「知らない人は信じるな」と言わざるをえない。とすると、保護者も地域の人も子どもに声を掛けづらくなり、「あいさつ」すらできなくなりがちだ。逆に、子どもの側もいきなり大人が挨拶してきても、無視するのが当たり前になる。ぼく自身、朝、ゴミ出しの時に会った登校中の子どもたちに「おはよう!行ってらっしゃい」と言うようにしているのだが、返事をもらえるのは希で、そのたび胸が痛い。とはいえ、子どもが悪いわけでは断じてない。

 懸念するのは、小さい頃から「他人を信じるな」と言われて育った子らがつくる未来の社会はどんなふうだろう、ということ。すごく心配だ……。もっと言うと、こうやって育てられた子たちはほんの10年もすれば「若者」と呼ばれる年代になっていて、「最近の若者は挨拶もできん」と、いつの時代にもある心ない若者叩きの対象になってしまうかもしれない。それも嫌だ……。

 考えすぎだろうか……。少なくとも、議論するべき内容だとは確信を持っているのだが、ひとたびPTAの中で、子どもの安全にかかわる強力な磁場の中に身を置いてしまうと、なかなかうまく発言できなくなる。このままだとやっぱり、ヤバい、と強く感じる。と同時に、似たことを考えているPTA会員や対策を実行しはじめたPTAにもしばしば出会うから勇気づけられる。

 いずれにせよ、防犯対策の効果と副作用について、議論・検証・軌道修正といったことは、必須の課題だ信じている。
 

■ 安全神話は崩壊している?


 ほかにも話し合いたいことリスト──。

  • 防犯と交通安全について。どっちが大事だろう。もちろん、両方? でも、選択を強いられた場合は? 交通量が多くて人目もある道と、車通りも人目もない道では、どちから安全なのか。殺人事件の犠牲になる小学生の倍近くが、交通事故で亡くなっていることをもっと意識した方がいい(2005年、小学生の殺人事件の被害者は27人だったのに対して、歩行中・自転車運転中の交通事故死は53人(「事故統計情報」(警察庁、国土交通省)より、筆者が抽出)。

  • 不審者対策を推進すると、不審者が増える逆説。男性であるぼくは、平日昼間、カジュアルな服装で外出するだけで、不審者扱いされうる。白日下、「その自転車(子ども席付きのパパチャリ)は自分のものですか」と職質されたこともあるし、娘との二人旅では「お父さんと一緒でいいねぇ」と笑顔の警官に話しかけられる。知人は、学校から回ってきた「不審者メール」を見て、服装や行動から自分のことだと確信した時の衝撃を語っていた。つまり、不審者対策は不審者を増やすことを認識しておくべきだ。

  • そもそも、安全神話は崩壊しているのか。こと殺人事件で小学生が被害にあうのは、1975年のピークから実数では4分の1ほど、子どもが減ったことを勘案した人口比でも半分以下になっている。(有名サイト「少年犯罪データベース」の"子どもの犯罪被害の統計")。崩壊したのは「安全」ではなくて「安心」(体感治安)の方だというのは、多少なりとも防犯の問題に興味がある者にはよく知られた事実だ。これにはメディアからの過剰なまでの情報提供も影響しているかもしれない。とはいえ、安心できないのはとても困るわけで、悩ましい……等々。
 いずれもホットな話題だ。きっとまた、これらの件について書く。

著:川端裕人
(婦人公論 2007.7.7 掲載)

PDF版注釈
 この文書は、川端裕人が中央公論新社の「婦人公論」誌上にて、2007年4月より1年間にわたって連載した(文書作成時は連載中)、「みんなのPTAをさがして」をPDF化したものです。多くの人に読んでいただくために、ブログ・リヴァイアさん、日々のわざ にて公開することにしました。このままの形であれば、自由に複製・配布してくださってかまいません。
 なお、このPDF版は、入稿時の原稿を元にして、体裁を整えたものです。誤字脱字などの誤りは、多く残っており、また、細かな点で、雑誌掲載時とは違う部分があることはご承知置きください。
川端裕人
posted by Pさん at 21:51| Comment(1) | TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この問題には高ーく分厚ーい壁があります。子供の通う学校でも集団登下校を解除してもらえずにいます。
今の子供たちは習い事や塾でスケジュールも一杯で『遊ぶ』時間がありません。友達と『遊ぶ』ことがほとんどないのです。
朝から嫌々ながら並ばされ、道草をすることもなく帰らされ、危険なものから遠ざけて安全地帯に閉じ込められる。こんなことってあり!?って感じです。これじゃ危険回避能力もつかず社会人になって挫折する人間が多くなるはずでしょう。
まさに子供の安全ではなく親の安心なんですよね。
なんとかしなくちゃと思いつつ抵抗勢力に立ち向かう毎日であります。
Posted by toyohi子 at 2009年04月24日 22:53
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