川端裕人さんの「みんなのPTAを探して」(「婦人公論」連載:2007/4〜2008/3)のバックナンバーを「ブログ版」として公開しています。(著者公認)
 はじめていらっしゃった方は、まずは著者本人の「ごあいさつ」をお読みください。
管理人:Pさん
 

2007年11月07日

第8回 変えたいこと、いっぱいあるんです!


本家関連エントリー
 変えたいこと、いっぱいあるんです (2007.7.21)
 第8回変えたいこと、いっぱいあるんです! (2007.11.7)


 ぼく自身、今のPTAが完璧だと思っているはずもなく、「今のまま」ならやめちまえ! と言いたくなる瞬間すらしょっちゅうある。

■ 魂の叫びを聞いてくれ


 さて、しばらく、我ながらお行儀よく書いてきた。読者からの投書で、「PTAのいい面ばかりではなく、マイナスの面にも目を向けるべき」なんて意見が来るほど。正直、嬉しい。

 ぼく自身、今のPTAが完璧だと思っているはずもなく、「今のまま」ならやめちまえ!と言いたくなる瞬間すらしょっちゅうある。だから、そろそろ一度くらい魂の叫びってやつをやっておかねば。ぼくが今のPTAで、窒息しそうになっていること。今すぐにでも変わってほしい(変えたい)こと、よくわからずもやもやしていること……などなど。

 最初に言っておくけれど、ぼくはそれらがすぐに変わるとも、すべて変えられるとも思っていない。「すぐに、すべて」実現するということは、PTAの本質である多様な価値観を持った人たちとの話し合いをすっ飛ばすことにもなりかねない。もっとも、そこまで心配するのは気が早いか。話し合うためには、まず誰かが意見を述べなければならないわけで、ぼくがその「誰か」になろうとしているのだと理解して頂ければさいわい。

■ 入退会は自由にしたい!


 なにはともあれ――、

 PTAは任意加入で、自由に入退会できると、声を大にして言いたい!

 いまもそのことを知らない人たちに、「正しい」情報を伝えたい。

 これなしには、PTAがどれだけの可能性に満ちていようと、空々しい。ぼくが唯一、譲れないと感じるのがこの件だ。

 自由な入退会をめぐって、ぼくがイメージする理想的なPTAとは……規約レベルで自由な入退会が保証され、入学時に説明会を開き、申込書を配って意志を問い、それでも組織率が9割前後は確保できるだけの支持を保ち(100パーセントを期待するのはむしろ不健全だ。努力の結果そうなるなら大歓迎だが)、会員の子ども、非会員の子どもとを区別することなく扱う。子どもたちの学びと育ちに寄り添って、自分も成長したいと願う、そういう大人が集まって作るPTAだ。「入らない」選択をする人がいたなら、説明し理解してもらうのを心がけつつも、意志が固い場合は、尊重したい。

 それでは会員がどんどん減っていく? そう心配する人が多い。

 ぼくが確信しているのは、「すぐには減らない」だ。以前、この連載で任意加入問題について書いてから、情報が少し集まってきており、世田谷区内の少なくとも3つの学校で入学時に「申込書」を書いてもらっていることを知った(たまたまPTA仲間と話していて知っただけなので、現実にはもっと多いだろう)。にもかかわらず、申込書を出さず、入会を拒否する人はこの3つのPTAにはいないそうだ。「強制力」が働いているというのが、ぼくの友人の実感だそうで、その部分においては暗澹たる気分になるが、とにかく、この「見えない強制力」は、任意加入を知らしめてもしばらくは維持されるだろう。いずれ「強制力」が弱まる時は来るかもしれないが、それまでにPTAを「義務の組織」ではなく「自分自身や子どもにとってのメリットを考えて入会するもの」にする時間的な猶予は必ずある。

 もしも、それに失敗したら? たしかにPTAの組織率はがた落ちするかもしれない。でも、そうなったらそうなったで、いいじゃないか。今と同じことは無理にしても、その規模で身の丈にあった活動をすればいい。
 

■ 保育園組にも活躍の場を!


パパ権宣言』(大月書店・汐見稔幸岸裕司との共著)の中で、ぼくは「保育園組」と「幼稚園組」のギャップを指摘した。現在、本当の意味での専業主婦は少数派になっていて、かなりの母親がなんらかの形で仕事をしている。だから、今は、専業か非専業か、というのではなく、保育園組(フルタイムで働いている)か幼稚園組(パートなど融通のきく仕事が多い。専業主婦的な人も少しはいる)かというふうに考えた方が実情に即している。そして、目下、PTAを担っているのは主に幼稚園組だ。

 しかし、それでだけは回らない。役員選出に毎年苦労するのは前に書いたけれど、それどころかクラスでの委員決めなどでも、なかなか決まらないことがある。だから、保育園組にも活動に参加してほしいわけだが、平日の昼間に時間を作りにくい人が多いわけで、非常に悩ましい。

 ちなみに、ぼくは学童保育所の保護者の会の役員もしているので、週末に集まってささっと物事をゆるーく決める学童のお母さん(たいてい保育園組)のやり方にも馴染みがある。こういった人たちがPTAにどんどん入ってきたら素敵なのにと思うのだが、やはり勤務上、平日昼間の壁を越えられる人は少ない。

 今年PTA役員をするにあたって、「学童の役員経験者のお母さんが、子どもが学童を出た後、今度はPTA役員を務められるようにするには何が必要か」ということを常に考えている。

 でも、最近、ちょっと悲観的。仕事が実に多い。新学期が始まって最初の3ヵ月、ぼくは平日の半分以上、昼間、学校に行ったり、外での会議や研修会に出席したりしている。同じことは、フルタイムの仕事をしている人にはできない。まず業務ありきではなく、「今年の役員はこれはできるけれど、これはできない。これはやりたいけれど、これはやりたくない」と考えていくような「人ありき」の方法にしなければ。しかし、実際には、PTA連合体やほかのPTA、地域との関係など「対外的」な関係がある業務は、こっちの都合だけでは縮小したり、やめたりできないから困難だ。

 また、ぼく自身、週末は自分の子どもたちと過ごしたいから、PTA活動は平日昼間を望んでしまう。時々、自分が「PTAにかかわる権利」を囲い込んでいるような気分にすらなる。非常にやりきれない。この問題が解けるなら、会社員の父親だって入り込んできやすくなるはずなのに……本当に、なんとかしたい!
 

■ 防犯は、何よりも大事?


 子どもの安全をめぐる議論では、特殊な磁場が働く、と以前書いた。

犯罪不安社会――誰もが「不審者」?』の中で、芹沢一也は、「現実にはほとんど起こらない「他人による子どもの殺害」を防ぐために、我々はセキュリティを社会の隅々にまで浸透させようとしている」と指摘する。そして、「PTAが親睦団体から、危機管理団体へと変貌しつつある」と看破する。

 この流れは今も強い。

 でも、無理もないのだ。「傷害事件の容疑者が犯行後、逃亡中」との緊急メールが届けば、保護者としてはなんらかの対応をせざるをえない。また、全国で連れ去り事件が多発したりすると、模倣犯を警戒してパトロールしたくなる。ぼく自身、「子どもが被害者になることは長期的にみると少なくなっているし、凶悪な犯罪が昔よりも増えているとはいえない」と確信しているとはいえ(『犯罪不安社会』にも詳しい)、ぼくらが向き合っているのは「今」だ。だから、痛ましい事件が起きるリスクはできるだけ小さくしたいと願き、心を砕く。それ自体、ごく自然なことだ。

 にもかかわらず、防犯パトロールのことばかり言っているPTAは、大事なことを見落としているとも常々感じていて、強い葛藤を覚える。「他人に殺される」より「交通事故」や「親に殺される」子どもの方がずっと多いのに、防犯ばかり言っても仕方あるまい。去年、いじめで自殺する子が何人もいて問題になったけれど、あれはもう忘れちゃっていいの……等々。できるかぎり口に出しているのだけれど、なかなか伝わらずに悩む日々。
 

■ 「地域」って、誰のこと?


 PTA役員ライフの中で、「地域」について分からなくなりつつある。前は「知らなかった」わけだが、今は「わからない」と感じる。

 とにかく、学校やPTAが地域と連携することの大切さを説かれることが多いが、この時「地域」って誰のことなのか。「連携」は何をすることだろう。

 90年代にも、今と同じように「学校と地域の連携」が奨励されていたし、それだけではなく、実際に物理的な意味でも校門は開いていた。子を持たないごく普通の地域住民が一個人として学校にかかわる敷居が低かった。あるいはその敷居を低くしようと、様々な努力が払われていた。『パパ権』の共著者、岸裕司秋津コミュニティでは、地域のボランティアが学校の中、いや授業の中にまで入り込んで「連携」していた(『学校を基地に』太郎次郎社刊、に詳しい)。

 今はかなり様相が違う。地域の重要性はあいかわらず論じられるけれど、防犯パトロールをお願いするなど「子どもの安全を一緒に守る」ことに重心が置かれがちだ。この場合、お願いする相手は町会や商店会ということになる。同じ「地域」でも範囲が限定されるし、「連携」の意味も違ってきている。

 この件、ぼくはまだどこに問題があるのか、そもそも問題であるのかどうかすらわからない状態。ただ違和感は表明しておきたい。地域って何? 地域って誰? PTAって何をすべきなの? そのような疑問が頭の中で渦巻いている。
 

■ 「盛ん」=「負担」の現実!


 PTAの連合体ってどうよ、という問題意識も常にある。

 日本で最大のPTA連合体は、1000万人以上の会員数を誇る日本PTA全国協議会だ。各学校のPTA会員は、市町村区の連合体、都道府県の連合体を経て、自動的に全国協議会の会員にもなっている場合が多い。ぼくも会員だ。

 毎年出してくれる「事例集」はとても参考になるので、その面ではとても助かっている。でも、いくつかの活動に強烈な違和感がある。「子どもにみせたくない番組」に「クレヨンしんちゃん」が選ばれるのは、ファンのぼくとしては胸が痛いし、その一方で、世間ではニセ科学の代表格だとされている「ゲーム脳」の本を推薦図書に推す。そして、これらについて、会員のはずのぼくは、なんら直接意見を言う場がない。これだけ大きな団体になると活動方針に賛同できない会員も大勢いるわけで、せめて個人単位で入る・入らないを選択できればいいのに、としょっちゅう思っている。

 一方、身近な区市町村の連合体は、かなりイメージが違う。実は、この数ヵ月、直接的なかかわりを持っただけで、世田谷区のPTA連合体にすでに誇りと愛着を覚えている。なによりも「考え・行動する」伝統があるのが良い。

 ぼくが連載の中でこれまで紹介してきたPTAの輪郭は、世田谷区立小学校PTA連絡協議会と教育委員会事務局の共著、『みんなで学ぶPTA』に基づいている。どこに出しても恥ずかしくない行き届いた内容で、ぼくはしょっちゅうPTA仲間に精読をすすめている。

「研修の世田谷」という呼び名があるくらいで、多くの研修会を開催してくれるのもよい。「みんなで学ぶPTA」と題して(小冊子と同じタイトル)、役員、学年・学級委員、広報委員、校外委員などを対象に行う、年度初めの「新人研修」は秀逸だ。64校を8校ずつ8つの地区にわけたブロック活動も盛んで、役員同士の情報交換ができるのもありがたい。

 とはいえ、問題は、それを負担に感じる瞬間が確かにあることだ。盛んなのが負担というのは贅沢な悩みかもしれないが、たしかにある。ないと言い切れば、ぼくは嘘つきだ。個々のPTAでも「盛ん」であることが「負担」に感じられることはよくあるので、それと同じこと。しかし、連合体の場合は自分のPTAでの決断だけでは変えられないから、その点でやっかいだ。

 連合体ってどうよ。もやもやした気分を抱えつつ、そのうち取材して考えたい。

著:川端裕人
(婦人公論 2007.8.7 掲載)

PDF版注釈
 この文書は、川端裕人が中央公論新社の「婦人公論」誌上にて、2007年4月より1年間にわたって連載した(文書作成時は連載中)、「みんなのPTAをさがして」をPDF化したものです。多くの人に読んでいただくために、ブログ・リヴァイアさん、日々のわざ にて公開することにしました。このままの形であれば、自由に複製・配布してくださってかまいません。
 なお、このPDF版は、入稿時の原稿を元にして、体裁を整えたものです。誤字脱字などの誤りは、多く残っており、また、細かな点で、雑誌掲載時とは違う部分があることはご承知置きください。
川端裕人
posted by Pさん at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。