川端裕人さんの「みんなのPTAを探して」(「婦人公論」連載:2007/4〜2008/3)のバックナンバーを「ブログ版」として公開しています。(著者公認)
 はじめていらっしゃった方は、まずは著者本人の「ごあいさつ」をお読みください。
管理人:Pさん
 

2007年11月20日

第13回 PTAの全国研究大会をレポートします!


本家関連エントリー
 日Pの全国研究大会について書きました (2007.10.9)
 みんなが悩んでいる…… (2007.11.20)


 PTAは本当に必要か? という問い。ぼくも日々考えている。
 これは、出席せねばなるまいと思い、彦根に行ってきた。


■ 初めての「日P」直接体験


 去る8月24日(金)・25日(土)、滋賀県各地の会場で「第55回日本PTA全国研究大会・滋賀びわこ大会」が開催された。主催は社団法人日本PTA全国協議会(日P)、近畿ブロックPTA協議会、滋賀県PTA連絡協議会。24日に彦根市で行われた第一分科会(組織・運営)のテーマは「どうする? どうなる! PTA〜カタチだけや、嫌々するPTAから卒業しよう」で、事前公開されていたウェブでの説明を抜粋すると……

 現状と課題――それぞれのPTAでは役員選任の困難さ、事業のマンネリ化、財政難、会員の参画意識の低下、学校との脆弱な連携など、組織のあり方や運営方法で様々な課題を抱え続けています。しかも、役員交代などで組織が一新されれば、課題解決の糸口を探るまでもなく、根本的かつ継続的な問題解決に至ったケースはきわめて稀です。

 討議の視点――内側(単位PTA)からの改革はもちろんですが、外側(教育委員会や学校、地域)からの改革と併行することで、実効性が高まると考えています。第一分科会では誤解やタブーを怖れず、「PTAは本当に必要か?」という逆説的な視点も尊重しつつ、先進事例の紹介やパネルディスカッションを通して、解決の糸口を探っていく。

 とのことだ。

 PTAは本当に必要か? という問い。ぼくも日々考えている。これは、出席せねばなるまいと思い、彦根に行ってきた。ぼくにとって、日Pについて初めての直接体験でもある。これはその報告。

■ 開会式で、国歌斉唱!


 午前6時の電車に乗って東京駅に向かい、のぞみで一気に名古屋へ。こだまに乗り換えて米原で降りた。彦根へは在来線で1駅だ。駅前から会場まで有料シャトルバスが出ており、午前10時の開会式が始まる15分前、会場のひこね文化プラザに到着した。800人規模の大ホールで8割方の席が埋まる盛況。大きな舞台の上には「どうする? どうなる! PTA」と書かれたパネルが吊られ、その右端には、日Pのマーク、左端には日の丸がそれぞれ描かれていた。

 ちなみに、各分科会はそれぞれ別の会場で行われており、第一「組織・運営」のほかに、第二「家庭教育」、第三「学校教育」といったふうに、第八まで続く。また、「いじめ」や「教育改革」をテーマにしたと特別分科会もある。

 なにはともあれ、第一分科会。
 開会式でいきなり衝撃に打たれた。

「国歌斉唱、全員、ご起立下さい」

 PTAの全国研究会で国歌斉唱?? 虚をつかれて狼狽する。

 ちなみに、日Pの綱領は「教育を本旨とする民主的団体であり、不偏不党・自主独立の性格を堅持し、PTAの健全な発展の維持、並びに青少年の幸福な成長を図ることを目的とする」であり、ぼくはここから研究大会での国歌斉唱を導く必然性が見えない。さまざまな信条の人々が集うPTAだから、国歌「斉唱」には無理があると思うのだが、どんな議論の結果こういうことになったのだろう。調べてみたいが、今はその時ではない。とにかく開会式。

 君が代の後には「PTAの歌」(そういうのがあるのです。ユニコーンじゃないぞ)を歌い、開会式は続く。

 日Pの理事が頭上の日の丸に一礼してから、会長あいさつを代読した。教育改革が叫ばれるなか、「学力の向上」ばかりに気を取られて、「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」が埋もれてしまいそうなことに懸念を表明し、また、子ども・教師・保護者をおきざりにした拙速な改革は望まないと言明した。

 開会式後、午前中は、杉並区和田中学校藤原和博校長による基調講演。藤原氏は元リクルート勤務の民間出身校長で、公立中学校の改革で注目を浴びている。『校長先生になろう!』(日経BP)など著書多数。この連載でも近い将来、インタビューを掲載する予定なので、簡単に述べるけれど「地域とPTA」の関係について、これまでにない提案をされている。この日の講演では、校長みずからが講義する「よのなか科」という授業を、毎週、一般公開することから始まって、「地域」が学校の中に入ってくる様子を紹介してくれた。PTAのOG、OBが活躍するところなど、以前、本連載でもお話を聞いた岸裕司さんの秋津コミュニティを校長主導でアレンジしたともいえる。引き続き、来年度の「第一分科会」の開催地、香川県観音寺市の実行委員の皆さんが壇上からPRして午前の部は終った。

■ なかなか深まらない議論


 午後はいよいよパネルディスカッションだ。いやがおうにも期待は高まる。

 コーディネーターは田島一成氏(衆議院議員であることは明かされず、地元PTA連絡協議会副会長として登壇)、パネリストは石原多賀子(金沢市教育長)、山崎伊佐緒(京都市立御所南小学校学校運営協議会会長)、清水たかみ(杉並区和田中学校地域本部事務局長)の三氏。

 前述の「現状と課題」「討議の視点」に記された問題意識から、どれだけ突っ込んだ議論をしてくれるのか……。

 まず、感心させられたのは、問題提起のために差し挟まれる寸劇だ。演じているのは「素人」の役者さんらしいのだが、実に雰囲気がある。会場は爆笑に包まれたり、共感して「うんうん」と頷く人が続出したりで、「つかみ」は上々。しかし、肝心の議論の方はというと……各論で述べた方がいいと思うので、各寸劇と対応する議論を素描していく。
 
 ○寸劇1「役員選挙 え? わたしが?」
 学級委員長に選ばれて気が重い娘が、「(クラスメイトの)陰謀やわー」とぼやく。それを聞いた母親は、「いいじゃない、滅多にできるものじゃないし。母さんも鼻が高いわ」と背中を押す。そこにかかってきた電話。「選挙で当たりましたので、PTA副会長をお願いします」。とたんに母親は、「そんなのできませんから! 陰謀やわー」とぼやく。「言うことちがうやん」と呆れる娘。

 なぜ役員のなり手がおらず、みんなやりたがらいのか。どうすれば改善できるのかが問題にされた。

 現在、教育長である石原氏は、かつて現役PTA時代、「委員決めで3時間も無言が続き、結局くじ引きで当ててしまった」という経験があるという。「PTAのこの文化ってなになのだろう。もっと気楽にできないのか」と述べた。
 清水氏も「転勤族だから(とけ込むために?)やってもいいかな」と思っていたら、選考会で狙い打ちのようにされて会長になった体験を述べた。「夫や子どもに怒られる」と気重になって帰る時の真っ赤な夕日が忘れられない、とか。

 PTAの役員経験者ならだれでも共感できるであろう話。しかし、そこから先、何が原因でどうすればいいのか、という議論はなかなか深まっていかない。「組織のあり方に工夫を」といった、漠然とした落としどころになってしまったのが残念。

■ モンスターペアレント登場


 ○寸劇2 いちゃもん
 女子生徒が教師に手紙を持ってくる。「母さんが、先生にわたしなさい」って。
 女子生徒が去った後で、手紙を開けてみると……「うちでは、娘に勉強以外のことはさせていないので、学校でも掃除なんかさせないでください」というクレイム。頭を抱える教師。

 学校に無茶な要求をする保護者がしばしばいるそうだ。最近ではモンスターペアレントなる言葉もある。そういう保護者にどう対処するかというのは、PTAというよりも、むしろ学校側の課題のはずなのだが、PTAにもできることはあるわけで、ここではPTAが保護者同士の学び合いを進めたり「保護者と教師が価値観を共有する」ことの大切さを強調したかったらしい。「らしい」というのは、今ひとつぼくは文脈に乗り切れなかったからだ。これって、第一分科会の主題である「組織・運営」の話なのだろうか、と最後まで疑問が拭えなかった。最近、先生ってすごく大変そうだよね、応援してあげたいよね、という水準の議論としては、ごく一般論として、納得できるのだが。

■ 「例年通り」を打ち破るには?


 ○寸劇3 マンネリ
 例年開催のバザーをめぐって話し合うPTA会長と副会長。バザーは大変だし、もっと子どものためにやっているのを実感できる新しい事業を立ち上げたいと相談する。しかし、画期的なアイデアがあるわけではなし、バザーの収益金もPTA予算に組み込まれているので、簡単にやめるわけにはいかない。豹変した会長は「バザーやろ、バザー!」と述べ、結局は例年通りの事業を踏襲することになる。「この会長についてって、ええんやろか」と首をひねる副会長。

 マンネリ化してしまう組織の問題。次々と担い手が変わるPTAの場合、役員がPTA活動の全貌を把握して何かを変えようと思った頃にはもう任期が終わりになっている。前例を踏襲していかざるをえない構造になっているわけだ。コーディネーターの田島氏は「それでも、誰かがメスを入れねばならない」と述べ、また清水氏は、「PTA活動は苦労するので、その分、思い入れが強くなる。それをぱっと切らないと、OB、OGの意見が強くなって物事を変えられなくなる」という主旨の分析をのべた。

 また、教育長として多くのPTAを見てきた石原氏は、日本のPTAは本来、賛同した人が入る社会教育団体なのに、自動加入型を取っているために「ずるずる入っている」人も多く、それも問題だと指摘した。このあたり、ぼくは意を得たりだったのだが、そこから先、なぜ問題なのか、どうすればいいのか、という議論は展開していかなかった。
 

■ 意義はあった……のか?


 3つの寸劇とそれに対応する議論は、一瞬、はっとするような分析が示されることがあったとはいえ、総じて、歯に衣が着せたようで、キレを欠いた。日Pの研究大会になると、みな発言が慎重になるのか。PTA組織の「内側」からの抜本的改革の事例は示されなかったし、「外側」からできることも掘り下げられなかった。全国大会ならではの視野の広さ・深さを期待したのだけれど、肩すかしの感が強かった。

 このことは、ぼくを彦根まで導いた「PTAは本当に必要か」という問いかけについても同様だ。「誤解やタブーを怖れず、『PTAは本当に必要か?』という逆説的な視点も尊重しつつ……解決の糸口を探っていく」はずだったのだが、箱を開けてみればほんの少し触れられただけだった。寸劇1が終わった直後、コーディネーターの田島氏が、「PTAの役員のなり手が少ないということは、PTA自体を否定されているのかもしれない。PTAはなくてもいいと思われているのではないか」という内容のことを述べて、「おっ、来たな」と思わずぼくは身を乗り出した。けれど、すぐに「パネラーのみなさんには、PTAは必要なんだというお言葉をいただきたい」と続いたために、「逆説的」な問題提起はそのまま流れてしまった感がある。「必要」を前提としてしまったら、問いかけの切れ味が鈍くなってしまう道理だ。

 田島氏は全体を通じて、より「深く」問題を論じる方向に舵を取ろうとした努力が見えていただけに、ひょっとすると彼自身、忸怩たるものがあるのではないかと想像する。もちろん、本人に聞いてみないと真相は分からないが。

 とにもかくにも、閉会式で「琵琶湖周航の歌」を合唱して第一分科会はお開き。

 事前に示された「現状と課題」「討議の視点」から、つい期待してしまった内容にはほど遠かったけれど、全国レベルで問題を共有するという意義はあったかもしれない。いや、この程度の問題意識はみんな持っているはずで、全国組織がとりあげたこと自体に意義があるのか。と無理に納得して、会場を後にした。いずれ、公式の記録誌が出たら、他分科会の内容とあわせて精読し、振り返ってみたいと思っている。

著:川端裕人
(婦人公論 2007.10.22 掲載)

PDF版注釈
 この文書は、川端裕人が中央公論新社の「婦人公論」誌上にて、2007年4月より1年間にわたって連載した(文書作成時は連載中)、「みんなのPTAをさがして」をPDF化したものです。多くの人に読んでいただくために、ブログ・リヴァイアさん、日々のわざ にて公開することにしました。このままの形であれば、自由に複製・配布してくださってかまいません。
 なお、このPDF版は、入稿時の原稿を元にして、体裁を整えたものです。誤字脱字などの誤りは、多く残っており、また、細かな点で、雑誌掲載時とは違う部分があることはご承知置きください。
川端裕人
posted by Pさん at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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