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婦人公論連載、芹沢一也さんとの対談 (2007.9.23)
婦人公論連載PDF、12回目、芹沢一也さんとの対話。 (2007.12.20)
今の社会のセキュリティ志向は「子どもを護れ」というコンセンサスのもとに深まってきた。そして、その強力な磁場を形成する中心にいるのが子を持つ親だと自覚したい。
■ 子どもの犯罪被害は減少傾向
『犯罪不安社会――誰もが「不審者」?』(光文社新書)で、著者の一人、芹沢一也は、PTAが防犯対策を推し進めるさまを「親睦団体から危機管理団体へと変貌」と表現した。たしかに、ぼくが住む世田谷区の区立小学校PTAの多くが、ここ数年のうちに「防犯パトロール」の仕組みを整備した。背景には「治安が悪化している」という実感がある。
この「実感」は本当に正しいのか。警察統計によると、たしかに2000年から犯罪の「認知件数」が飛躍的に増えている。しかし、それはあくまで、小さな事件でも受け付ける警察の方針転換によるものだという。また「小学生が殺される」人数についても、「増えている」という印象とは裏腹に、長期的に減少傾向にあることがはっきり示される。もちろん「一件でも起こってほしくない」というのは親の共通の願いだが、はるかに多い交通事故死や虐待死よりもこちらがクローズアップされるのはなぜだろう。
芹沢は言う。
現実にはほとんど起こらない『他人による子どもの殺害』を防ぐために、私たちはセキュリティを社会の隅々にまで浸透させようとしている……単なるイメージや感情に基づいてセキュリティが強化されるなら、その時生まれる社会は結局のところ、誰にとっても生き難い息苦しい社会でしかない……。
ぼくには非常に納得できる。何かを完全に排除しようとすると、どこかで無理が生じて副作用が大きくなる。ぼくが心配でならないのは、他人を信じるなと教え込まれて育つ子どもたちがどんな社会を創るのか、ということ。
芹沢を訪ね、意見を聞いた。
■ 監視カメラは効果なし?
――治安が崩壊したという前提で、さまざまな対策がなされます。たとえば、監視カメラ。PTAでも、自治体に設置を要望することが多いです。インターネットで不審者情報を通知する仕組みも導入されています。さらに、防犯パトロールをしたり、安全マップを作ったり……。こういうのっていいことですか、悪いことですか?
芹沢 監視カメラは、やっぱり悪いことだと思いますけどね。犯罪学的にいうと、犯罪を抑えるためにもっとも効果的な方法は、街灯です。監視カメラは駐車場の車上荒らしに意味があるぐらいで、凶悪犯罪なんてとても防げない。セキュリティ産業を潤しているだけです。不審者メール配信だとか、安全マップ、コミュニティを作るのはいいことなんですけど、閉鎖的になってしまうのは、問題です。
逆に教えていただきたいのですが、今、PTAのなかにいて、防犯に対する熱っていうのはかなり高いものですか?
――ある意味、薄ら寒いのですが、今この時点では、高いのか低いのかよくわからないんです。身の回りには、「防犯タスキ掛けてパトロールしたって、何になるんだろう」と思っている人のほうが多いですし……。それでも、全体としては防犯PTAとでもいうべき状態ですね。特に大きな事件があると意識が高まります。01年の附属池田小事件では校門を閉めるようになり、05年の広島・栃木での連続児童連れ去り事件の時には通学路が問題になった。それ以降、さいわい大きな事件がないので、今は個々の会員のモチベーションは下がっているかもしれません。
芹沢 ちょっと前に滋賀で、お母さんが近所の子どもを車で幼稚園に連れて行く時に殺した事件がありましたね。びっくりしたのですが、あの時、「こういう事件が起こったから注意するように」って、PTA会員である東京の友人の携帯にメールが配信されたんです。もう犯人も逮捕されているのに、何を注意すればいいのか?「これだけ事件が起こっている」という恐怖心をまき散らすことでしかないわけです。
――それ、鋭いメールかもしれません。「隣人に注意せよ」という意味かも。
芹沢 だとしたら、恒常的な非常事態宣言みたいな状況になってきているわけですよね。PTAが「固まっていく」ということ自体悪くないとしても、今は、治安を軸にしているから、すごく気持ちが悪いし、閉鎖的になって弊害が出てくるわけですよね。他の目標にずらしていくことはできないのでしょうか。
■ なぜ、こんなに不安なのか
――『犯罪不安社会』が刊行されてから、メディアでの「治安が悪くなっている」という論調は減ったと思います。
芹沢 「治安は悪くなっていない」ことを証明する数字を出していますからね。子どもの命が犠牲になる事件は、確実に減っています。戦後というスパンで見ても、子どもの命が見知らぬ人に奪われる可能性は、おそらく、今が一番低い状況です。そういった意味で「治安は悪化していない」と主張しているわけです。
――「治安が悪化していなくても、個々の事件は凶悪化している」と言いたがる人がいます。また、「実態はどうあれ、体感治安は悪化しているから対処すべきだ」という言い方もよく聞きます。そこまでして「悪くなっている」と言わなければならない理由や、あるいは、多くの人が実際に悪くなっていると感じている理由は、どこにあるのでしょう。
芹沢 まず、今のような状況は、ぼくはいいことだと思うんです。社会全体が、暴力に対して敏感になってきているわけですから。DVや、ストーカー被害もそうですよね。かつて泣き寝入りしたような事件が、今は犯罪としてしっかり対応されるようになってきている。これはいいことです。だけど、裏を返せば、そうしたものに過剰に反応する心性につながってしまうんですよね。
――バランスの問題でしょうか。ぼくが知っているPTAのお母さんで、熱心に防犯活動をしている人がいて、芹沢さんの本を読んでもらったんです。感想を聞いたら、「この本、信じられない、受け入れられない」って。
芹沢 その「受け入れられない」とは、どういう意味なんですか?
――頭のいい人だから、理屈としてはわかるわけです。警察の方針次第で認知件数が増減するカラクリもしっかり理解する。でも、「かりに治安は悪くなっていないとしても、私と子どもが住む町には不審者なんて一人もいてほしくない」って。
芹沢 「一人もいてほしくない」という心性って、ちょっと前まではなかったと思うんです。どこから出てきたのでしょうか? 実際に犯罪も増えていないなかで、なぜそこまで強い思いが、国民一人ひとりに内在化してしまったのか。
――それに関連して、PTAの現場で、今、最大の焦点のひとつは、地域社会と連携することなんです。その語られ方にすごく居心地の悪いものを感じています。
芹沢 90年代初めからの警察資料を見ていくと「治安は悪化していないけれども、地域共同体が崩壊している。コミュニティが犯罪を抑止する力を失いつつあり、将来的にはまずい」という話の流れがずっと続いています。それを受けて、2000年ぐらいから、「治安が崩壊した」という論調が出てきたわけです。この状態をケアするためには、地域共同体を復活させて、防犯能力を復活させるしかない、と。まず「治安が悪化している」という前提そのものが間違っているわけで、その間違った前提に対する手当てとして「コミュニティの復活」がもってこられているのです。
――「コミュニティ復活」の前提が「治安悪化」で、目的が「治安を守る」。実際に古きよきコミュニティが復活すれば、治安もよくなるかというと、別問題である気がします。
芹沢 少し前に、奈良の大学教授が子どもに声掛けをして捕まり、起訴までされました。お母さんと子どもが離れていたそうです。それで、「昨今、こういうのは危ないから、お母さん、目を離しちゃダメよ」みたいなことを言ったところ、それがなぜか向こうには「誘拐するぞ」に聞こえたらしく……。
――身につまされます。ぼくも、知らない子どもによく声掛けをするので。流れてきた不審者情報で、これは自分のことだと思ったことありますし。
芹沢 その件は置いておいて(笑)……。コミュニティの復活を願う人の理想って、子どもが悪さをしたら地域の人が怒れるような共同体でしょ。川端さんは、それをまさにやっているわけですよね?
――そうかもしれません。
芹沢 でも、治安を軸にすることで、それができなくなる共同体になっちゃうわけですね。
■ 弱者を切り捨てる社会へ
――不審者へのまなざしが厳しい社会って、弱者に優しくないと思います。05年にPTAの防犯パトロールがばたばたと立ち上がった直後、近所の養護学校は「うちの生徒は時々不審な行動をしてしまうけれど、本当は彼らこそサポートが必要な子どもです」という主旨の緊急アピールを出さざるをえなかったといいます。
芹沢 そうなんですよねえ……。杉並で、若い男に子どもが追いかけられたという不審者メールが流れました。何が起こったかというと、知的障害者を子どもがからかったわけですよ。それに対して、「何を!」となったのが、バーッと不審者メールで回った。やりきれないですよね。自分の家族に障害者がいるとか、自分が障害を抱えるとか、自分が精神的に病むとか、そういう可能性は、誰にもあるわけじゃないですか。社会なんて、健常者で収入がこれくらいあって、という人を中心に設計したら、その人以外は非常に住みにくくなってしまう。どうしてそういう発想がないのかな、と。
――自分や自分の子どもたちが排除される側に立つかもしれない、という発想が希薄ですよね。誰もが簡単にマイノリティになりうるのに、一面的に排除する側に手を貸してしまう。そうならないための「賢い情報網運用法」は、ないのでしょうか。
芹沢 むずかしいですね。「治安は悪化してない。とにかく安心してくれ」と言うしかない。先進国でも一、二を争う安全な国ですし、時間軸で見ても今は安全な時代です。どの角度からも安全な状況だ、ということを強く言って、まずはクールダウンする。でも、おそらくそれは"頭"に働きかけるものなので、"情"のレベルでどうするかと考えた時、おそらく、答えはないんです。
■ 保護者という特権の自覚を
対話を終えて、頭がクリアになると同時に、ふうっとため息。結局「答え」はないのだなあ。というか、自分たちが行動するなかで見つけるしかない。
ひとつ大事な点は、今、治安をめぐって、「保護者」が特別な場所に立っているということだ。芹沢の著書でも指摘されていることだが、今の社会のセキュリティ志向は「子どもを護れ」というコンセンサスのもとに深まってきた。その大目的には、誰も抗いがたい。そして、その強力な磁場を形成する中心にいるのが子を持つ親だと自覚したい。
防犯はもちろん大切だし、一人でも子どもが犠牲になってほしくない。とはいえ、「子どもを護る」義務を持ち、それゆえ特権的でもある保護者は、「今」が特別ひどい状況ではないことを理解しておくべきだ。目先のイメージだけで、セキュリティを際限なく強化し続けると、どんな未来を招いてしまうのか考えるべきだ。今の子どもたちにどんな社会を準備してあげるのかというのも、われわれの責任なのだから。
とはいえ、PTAで、この問題意識がなかなか取り上げにくいのも事実。防犯パトロールの効果に疑問を持つ人ですら、たとえば性犯罪が絡むと、「過敏」になりがちだ。基本的に母親団体であるPTAにとって、それがリアリティなのかもしれない。だとしたら、ぼくのような立場、考え方、感じ方も、同じく親である者の別のリアリティとしてありうるのだということをわかってもらうところから始めるしかない。
というわけで、みなさん、今回の文章で何かもやもやしたものを感じたら、ぜひ関連書籍に進んだり、友人と話したりしてみてほしい。そのうえで、どう感じたか教えてもらえればうれしいのだけれど。
著:川端裕人
(婦人公論 2007.10.7 掲載)
PDF版注釈
この文書は、川端裕人が中央公論新社の「婦人公論」誌上にて、2007年4月より1年間にわたって連載した(文書作成時は連載中)、「みんなのPTAをさがして」をPDF化したものです。多くの人に読んでいただくために、ブログ・リヴァイアさん、日々のわざ にて公開することにしました。このままの形であれば、自由に複製・配布してくださってかまいません。
なお、このPDF版は、入稿時の原稿を元にして、体裁を整えたものです。誤字脱字などの誤りは、多く残っており、また、細かな点で、雑誌掲載時とは違う部分があることはご承知置きください。川端裕人




〈週刊金曜日〉#695=2008.3.21号 p.43(縦組み)
【読み方注意! 編集者・大塚陽子 ――ボランティアの強制? 自立した市民の活動?:『婦人公論』「みんなのPTAを探して」川端裕人/中央公論新社―― 】
ピカピカのランドセルしょって小躍りする子どもを見るのは嬉しいが、新入学生(+高学年)を抱える保護者として憂欝に感じていることがある。PTAの役員、学童保育の「父母の会」の役員と役割分担、さらに習い事の「母の会」(!)の役員……、増えるであろう「親の出番」について、どうのぞむか、だ。
PTAの役員をめぐる悲喜こもごも、選挙の際の美しくない応酬などは日常的な話。口実をつくって逃げる「ずるい人」にはなりたくないけど、入会の意思も問われず、学校の便利屋的な仕事を振り分けられるのは釈然としない。そもそもPTAって何なのよ? 作家・川端裕人[ルビ:かわばたひろと]が、自らの体験をベースにさまざまな角度からPTAを分析、会の歴史を掘り起こし、その原点に立ち戻って当事者としての可能性を探るという意欲的な連載が「みんなのPTAを探して」だ。
『クレヨンしんしゃん』[ママ]をワースト番組とみなすこの組織に多少の偏見を持ちつつも、おそれを抱かず本質に迫っていく姿勢が新鮮! 悩める役員の愚痴に共感し、時に軽くいなす。行事が立て込む月は自らの負担が五〇時間に及んだとさりげなくふれる件[ルビ:くだり]では読者の度肝を抜く。
まず、自動入会に大いなる疑問を呈するところは我が意を得たり。『犯罪不安社会』(光文社新書)の著者のひとり芹沢一也を迎えて、PTAが体感治安にひきずられ、治安を軸に「かたまっていく」ことに警鐘をならす一二回目は時宜を得ていて快哉を叫びたくなる。
PTA活動は親が眉間にしわを寄せていてはだめ、「親が楽しまないと」というのはその通りだけどイメージが湧かない。川端が絶讃する岸裕司の新著『学校開放でまち育て』(学芸出版社)を読むと、あらら視界が一気に広がった。強制されたボランティアというより成熟した社会の自立した市民の姿をみる思い。“やりたい人ができることをやる”。でもできない人もゆるやかに包んでいくような大きな視点がいい。
藤原和博校長が登場した回には違和感も。現場の教員はPTA活動拡充の抵抗勢力、校長だけが“いい者”になってんだもの。
以前にこの記事のことを書いたブログを読んで、てっきり川端さんの連載に批判的な内容なのかと誤解をしてしまったことがありました。図書館で探して読んだらFJNさんのおっしゃっている通りの「ラヴレター」で、2次情報から勝手に判断してしまうことの恐さを思い知りました。
いや、しかし、【読み方注意!】というタイトルからすれば批判記事と受け取っても仕方ないように、今でも思うのですが。
ここのコメント欄参照
↓
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2008/03/post_cf6a_1.html
お書きになった「タイトルからすれば批判記事と受け取っても仕方ないように、今でも思う」を宿題としてぼんやり日々を過ごしちまいました、そして先夜、【読み方注意!】欄に記事を書いたことがある知人と酒場で話しました。
その結果、判ったのは、
【読み方注意!】欄の記事には、〈難点をあげつらう批判系〉のものと〈目から鱗が落ちる美点を指摘する絶賛系〉のものとがある――
ということです。
したがって、私の知人が書いたのや上掲した大塚氏が書いたのは〈絶賛系〉ですが、そのほかに〈批判系〉もあるようです。
以上ご報告まで。
それにしても、【読み方注意!】は「読み方ご注意!!」ですね(苦笑)。
ときどき、コメントリストをチェックしていたのですが、不具合で更新されていなかったようです。
たまたま携帯で覗いて、コメントを発見した次第。
失礼しました。
(どうやら、Seesaa はこの手の不具合が多い模様です。)
ということで、記事掲載は一区切りつきましたが、コメント欄は特に閉じる予定もないので、みなさん気が向いたときにでもよろしくお願いしますね。