川端裕人さんの「みんなのPTAを探して」(「婦人公論」連載:2007/4〜2008/3)のバックナンバーを「ブログ版」として公開しています。(著者公認)
 はじめていらっしゃった方は、まずは著者本人の「ごあいさつ」をお読みください。
管理人:Pさん
 

2008年02月07日

第14回 校長先生にとって親は「怖い」存在なの?


本家関連エントリー
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 校長先生シリーズ (2008.2.6)


 校長にとって、PTAって何だろうと考えさせられる。
ただの便利屋さんなのかパートナーなのか。
校長はPTAを生かしもすれば、殺しもする。


■ PTAは学校のヨメ?


 今春から都内の小学校でPTA会長を務める友人が愚痴る。「うちの校長、運営委員会で、学校のためにありがとうなんて言うんだよ。子どものためで、学校のためじゃない! むかつく……」。

 なにかとPTA活動に口を出す校長で、あれをしろこれをしろ、規約がおかしい、ほかの学校の前で恥ずかしい、とPTA役員を「学校の嫁」扱いして顎で使う態度を取る。保護者による奉仕活動は当たり前とされ、「PTAさん、やって」と突然言われる。

 別の学校のPTAで、アンケート調査をめぐって校長と広報委員会が対立した例も聞いた。子どもたちに人気のなかった行事として「マラソン大会」という結果を掲載しようとしたところ、校長が異議を唱えた。PTA広報を学校の広報と勘違いして、一字一句にいたるまでコントロールしたい欲望があるのだろうか。

 こういう話を聞いていると、校長にとって、PTAって何だろうと考えさせられる。ただの便利屋さんなのかパートナーなのか。校長はPTAを生かしもすれば、殺しもする。多くの場合、校長もPTA会員だが、だからといって決して「平等」ではないし、同じ方角を向いているわけでもない。

 校長にとってPTAとは?
 これはかなり切実な問いなのだ。

■ 要望を伝える窓口


 現役の校長による「小学校長のお仕事」というブログに「PTAはある方がいいの?」という記事がある。ブログの主principさんは、PTAの「効用」を、(1)親同士の助け合い、(2)豊かな文化活動、(3)学校への支援、(4)学校が見えてくる、(5)会員は自分の世界を広げている、と5つに整理した。

 それぞれ納得できるのだが、ここでは校長(学校)にとっての効用と保護者にとっての効用が混在しているようだ。今ぼくは、校長と保護者は同じ組織の会員でも、同じ場にいても、立場が違い見えるものも違うという前提から出発している。互いにとっての効用を分けて考えてみよう。

 校長にとってPTAの直接的な効用となりうるのは、(3)学校への支援、(4)学校が見えてくる、だろうか。ちなみに(4)は「(保護者が)外野からの批判者から、共に教育を創る協力者へと姿勢が変わってくる」ことを含んでいる。記事の別の部分にある「PTAがあった方が、誰に話を通せばいいのかはっきりして、学校として助かる」というのとあわせて、校長の対保護者の仕事がやりやすくなる効用がPTAにはあると考えてよいだろう。

 じゃあ、保護者の側はどうかというと……違和感が拭えない。(1)親同士の助け合い、(2)豊かな文化活動、(5)会員は自分の世界を広げている、あたりが、保護者が直接、享受できる効用といえるが、大事なことが抜けているのではないか。それは、(6)保護者からの意見を集約し要望できること。保護者が感じる問題を学校と協議して解決できること、とでもいおうか。保護者が「共に教育を創る協力者」であるなら、校長も保護者の問題意識を掬い上げて、一緒に考えてほしい。

 実際、PTAの役割について保護者に問うと、経験の浅い人ほど「要望を学校に伝えること」と返ってくることが多い。保護者が学校に希望を出していくのは健全なことだし、パイプ役をPTAが果たせなくてどうする、とぼく自身思う。
 

■ 先生の笑顔→生徒のメリット


 以上のようなことをまとめてprincipさんにメールしたところ、快く回答いただいた。まず、ぼくが保護者と校長、それぞれの効用を対立概念として捉えることには違和感があるという。学校側への支援や「奉仕活動」は、まわりまわって子どもや保護者に返ってくるからだ。

「親にとっては『余分な労力提供』に思えるかもしれません。しかし、忙しくて目をつり上げていた教員が、余裕が生まれたことで、子どもの前に笑顔で立てることが増えたとしたらどうでしょう。教員の笑顔は子どもたちの意欲をかき立て、子どもの伸びる力がいっぱいに引き出されるケースもあるわけです。学校のメリット→子どものメリット→保護者のメリットという円満なループができ上がることもありえます」

「しかし、いくらメリットのループといっても、双方とも疲れ果ててしまっては、デメリットのループに陥ってしまうでしょう。適度なバランスを勘案して計画・進行を管理するのがPTA役員と学校管理職の大事な役目だと思っています」

 なるほど。多くのPTA会員が「奉仕」を引き受ける時も、そういう思いかもしれない。なのにバランスを勘案するのはなんと難しいことか。激務でへろへろになっているPTA仲間を見るにつけ思う。

 さらに……校長にとってPTAとは? という問いには、「行政にとってPTAは手軽で便利な存在。しかし、怖い存在」という回答をいただいた。この場合「校長も行政組織の末端」と位置づけられる。

「『便利な存在』とは……行政では今、住民参画という言葉が流行しています。それは、住民の声によって運営しているという体裁を整えて、じつは住民のボランティアの力を活用して経費を削減しようとする意図だと私は考えています」

 思わずうーん、とうなってしまった。「行政」を「学校」と読み替えれば、PTAは本当に便利屋さんだ。これでは「円満なループ」は成立しない。形だけ自主的な活動ということにしつつ「これはみなさんの仕事」と活動を押しつけられるなら、たまらない。
 さらに別の文脈ではあるけれど、

「学校の事情がよくわからない保護者の場合、とんでもない要望が出てきます(たとえば温暖化のおり、運動会では全児童席にテントを、など……思いつきとしては良いのですが、現実の予算、労力を考えるといかがなものでしょう)。PTAでこれらをスクリーニングして、持ってきてもらえると助かります」

 というコメントもある。保護者の意見を集約する役割も、ある意味では望まれているのだと理解する。大っぴらに「どんどん要望してください」とは言わないにしても。
 一方、「怖い存在」とは……、

「たとえ保護者全体から見れば、ごく一握りの(PTA連合体の)役員の意見であったとしても、その発言には保護者全体を代表する声(選挙の大きな票田)としての重みがあります」

「学校単位のPTAが行政に要望を持って行った場合、「PTAへの監督がぬるい」ということで校長が叩かれます。要するに保護者の要望で役所が窮地に追い込まれることへのストッパーとしての役割が校長に課せられているわけです」

 そうか、行政や校長にとってPTAはそういうものなのか。ぼくたちは、それを多少自覚しておくべきかもしれない。「人質を取られている」なんて言わずに。
 

■ 信頼があれば


 2005年まで近県の小学校長だったtoshiさんは「教育の窓・ある退職校長の想い」の中で、しばしば保護者と校長の関係について触れている。活発なPTAがある小学校の校長だった方で、学校とPTAとの間に橋を架けてくれるように思えた。だから、お会いして、問うた。「校長にとってPTAとは? 保護者全体の窓口になることは重要でしょうか」と。

「窓口なんて、いくつあってもいいのに」というのが開口一番の言葉。

 toshiさんは、PTA経由だろうが直接だろうが、保護者の要望を聞くのは当たり前だという。ぼくが抱いていた「校長にとってのPTAの効用」を否定する(?)発言だが、考えてみれば、PTA=保護者全体ではないわけで(賛同しない人は入会しなくていい)、むしろ納得できる。

 もっとも、toshiさんもその境地に至るには、時間が必要だったという。

「若い時は『常に子どもだけ相手にできたら、どんなに幸せだろう』と思っていましたね。自分がやりたいようにやりたいと。保護者から要望・・たとえば宿題の出し方、量などですね・・が出されると、学級経営を邪魔するものという意識になることもありました。この考えのまま校長になっていたら、わたしもPTAを煩わしいと思ったかもしれません。本音では、教員は『自分がやりたいようにやりたい』のです。でも、それを口に出す人はいません。多くは『子どものため』という仮面をかぶっています。この思いが強いほど、PTA、地域、保護者が、邪魔に映ってくるかもしれませんね」

 toshiさんは、保護者からの要望を「できることはとり入れ、できないことはなぜできないかを説明する」ように心がけてきたという。そして、その過程で、最初は「できない説明」をしていたのに、結局は保護者に教えられ納得することもある。たとえば災害を想定した「引き取り訓練」をめぐって。

 地震の時は、保護者が家にいるとは限らない。だから、学校は保護者が来るまで子どもを預かる覚悟だし、引き取り訓練よりも、避難所になることを見越した訓練のほうが現実的というのが当初の見解だった。それに対して、PTAから、いざという時に学校に行く意識が薄くなるという主旨の反論があり、toshiさんは考えをあらためた。

 toshiさんは、理想の授業法として「子どもたちの興味・関心などをさぐり、それを主軸にすえて学習を進める。それでも、大事なことはちゃんと学べるし、むしろ深い学びになることが多い」と述べる先生だ。そして同様に、PTAは自主的な会員組織であり会員自身が効用(基本的には、子どもの育ちに貢献すること)をはっきり感じられるべきだということ、親がハッピーなら子どもたちのためにもなるという発想をごく自然にしているようだ。

「学校長は『PTAはこうであってはならない』とか『こうあるべきだ』とか、建て前が思い浮かんでしまいがちです。わたしは、そう思ったとしても、よほどでない限りは、まずはやってもらい見ていました。それでも、校内がもめたとか、不信を強めたことはなかったですよ。校長がこういう姿勢で臨めば、教員もPTAに対して協力的になります。やる気のある教員は、よくPTAの委員長さんと話し合っていました。そして、朝の打ち合わせでも、PTAからの声を全教職員に伝えてくれました。わたしにとってPTAとは、よりよい子育てをするために、お互いに情報交換したり、学び合ったり、まとまったりしていくもの。そういう意味で、なくてはならないものでしたね」

 とはいえ、やはり校長として心配なことはなかったのだろうか。PTAが活発だと、最初に述べたような配布物での摩擦など起こりやすいらしいし……。

「正直なところ、『困ったな』と思ったことはありますよ。一度、『学校への要望アンケート』をやりたいと言われまして、不安に思ったものでした。でも、実際にやってもらったところ、きわめて常識的なことが書かれてあって、ほっとしました」

 うん、そういうものだ、とぼくは思う。相互に信頼があれば、ストライクゾーンを少し外すことはあっても、極端なことにはならない。このあたり、校長の度量に依存しているのではないかと感じる。

■ バランス感覚を大事に


 principさんも、toshiさんも、ブログでの情報発信を評価されるくらいだから、オープンな学校長だ(だった)ろう。まずは子どものことを中心に置きつつ、校長としての学校の立場だけでなく、保護者のことも常に考えるバランス感覚を大事にしているようだ。
「連夜にわたって、子どもが寂しく家で留守番という状態はもってのほか」「PTA活動は、子どもにとってのデメリットにならないように、ブレーキもかかるように進められなければならない」(principさん)という意見など涙が出る。この発想を多くの校長が共有してくれれば(もちろんPTA役員・会員も!)と心底、願う。

「校長にとってPTAとは」という問いについては、まだ少しもやもやした感じが残っており、引き続き考えている。

著:川端裕人
(婦人公論 2007.11.7 掲載)

PDF版注釈
 この文書は、川端裕人が中央公論新社の「婦人公論」誌上にて、2007年4月より1年間にわたって連載した(文書作成時は連載中)、「みんなのPTAをさがして」をPDF化したものです。多くの人に読んでいただくために、ブログ・リヴァイアさん、日々のわざ にて公開することにしました。このままの形であれば、自由に複製・配布してくださってかまいません。
 なお、このPDF版は、入稿時の原稿を元にして、体裁を整えたものです。誤字脱字などの誤りは、多く残っており、また、細かな点で、雑誌掲載時とは違う部分があることはご承知置きください。
川端裕人
posted by Pさん at 06:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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