川端裕人さんの「みんなのPTAを探して」(「婦人公論」連載:2007/4〜2008/3)のバックナンバーを「ブログ版」として公開しています。(著者公認)
 はじめていらっしゃった方は、まずは著者本人の「ごあいさつ」をお読みください。
管理人:Pさん
 

2008年02月13日

第18回 カワバタ私案を発表します


本家関連エントリー
 婦人公論連載「カワバタ私案」 (2008.1.9)
 佳境三部作(?)をアップします (2008.2.13)


 ぼくはPTAの潜在力に強い期待を抱きつつ、今のままだと「社会を悪くする」と懸念する。
そして、期待と懸念は実は表裏一体で、良い方向に進めるのも、悪い部分を正すのも、同時に取り組まねば何も変わらないと感じている。


■ 4箇条の「方針」


 読者の方から、新しい保育園の保護者組織を立ち上げたというお便りをいただいた。発足時の運営方針として次の4箇条を掲げたという。(筆者が要約)
  1. 会員世帯か否かを問わずすべての園児のための活動。「何かしてもらう」ではなく「何かをする」姿勢を大切にする。
  2. 楽しくない活動は、長続きしない。楽しいと思うことをやり、楽しくないことは、さっさとやめる。ただ、楽しくする努力は必要。
  3. できる人ができる範囲での活動。会員は皆それぞれの都合のなかで、活動に参加する。「できない」「やらない」ことを非難することなく、「やってくれた」ことに感謝の気持ちを持ちたい。
  4. 誰も何も強制されない。参加したいところに、参加したい人が参加する。参加したい企画がないと思う人は、ぜひ自分で企画を! いつも来る人も、たまにしか来られない人も、同じように笑顔で迎え入れるような雰囲気を大切にする。
 まさにわが意を得たり。

 こういうことを常に意識しつつ活動するのはとても大事だ。活動を進めるにあたって心に留めておくべき基本ともいえる。しかし、基本を押さえることの難しさときたら! 「楽しく」「できる人ができる範囲で」と言うけれど、今のPTAではどれだけ実現できているだろう。「会員世帯か否かを問わずすべての児童のため」という意識は希薄だし、「強制されない」はむしろ対極の発想だ。

 ちなみに、この保育園の保護者組織は、今のところ7〜8割の加入だという。「全員が入るわけではないが、過半数は超えている」という意味で、ぼくには実に好ましいさじ加減。「みんな一緒に!」を強要しないがゆえに、より活発で楽しく、子どもたちに豊かな体験を与えうる会になってほしい。心からエールを送る。

 じゃあ、おまえはどうなんだと、話は返ってくる。PTAはすでにある組織だから、ゼロから設計するわけにもいかない。けれど、ここまでいろいろ調べ、人と話し、考えるなかで、ある程度の方向性は見えてきた。だから、お便りに刺激を受けて、ぼくが考える「これからのPTAの形」をまとめておこう。

■ 保護者は悲鳴を上げている


 まず現状認識。

 日本PTA全国協議会全国研究大会でも議論された通り(連載第13回)、各地でPTAの組織運営が行き詰まっているのは、一般論として間違いない。以前、紹介した読者の声(連載第910回)でもうかがい知ることができるし、切実な実例は身の回りにいくらだってある。

 ぼくは「保護者は今のPTAに悲鳴を上げている」と感じている。

 実にもったいない。PTAは「子どもの育ちと学びにかかわり、自らも成長したいと願う大人たちの会」であり、「ほとんどの教師と親が会員になる特別な社会教育団体」だ。21世紀の社会で重要な役割を果たしうる。「公立校を核にした地域再生の要」として期待されているのもその一つだし、ぼくの観点からはさらにもっと大事なことがある。

 つまり、PTAの活動は、ぼくたちが今後、迎えようとしている21世紀の成熟社会において「自立した市民が共同体に貢献する」モデルになりうると思うのだ。かつて「地域民主主義の苗床」と言われた時期を経て、今後のPTAは、子どもたちの学びと育ちにかかわることはそのままに、「成熟した市民社会のための学校」になるべきだし、その萌芽はある。(とても重要なことなのでいずれきちんと書く。ここではフライングをご容赦)

 なのに、現実としては「悲鳴を上げている」と言わざるをえないわけで、非常に切ない。いや、切ないどころか、このまま放置すれば、PTAの存在が、今書いた可能性とは正反対の悪い方向へと社会を導く可能性すらある。正直、怖い。

 本当は義務ではないことが義務として成立してしまい、やりたくなくてもやらされる。自立した市民どころか、自発意識を削がれ諦めモードに入って身を護る者が続出する。そんなことが常態である共同体のモデルを容認していいのだろうか。1000万人を超える会員がかかわるものだけに、「特殊な場所での特殊事例」として済ませるわけにはいかない。これが当たり前の社会など、想像するだけで、息が詰まるし、恐ろしい。

 つまり、ぼくはPTAの潜在力に強い期待を抱きつつ、今のままだと「社会を悪くする」と懸念する。そして、期待と懸念は実は表裏一体で、良い方向に進めるのも、悪い部分を正すのも、同時に取り組まねば何も変わらないと感じている。
 

■ 逃げ道の用意も必要


 処方箋としては、まず自由な入退会を保証すること。もうくどいくらいに言ってきたけれど、これは必須。今、自動加入になっているPTAは、会員の無知につけ込んでいると言われても仕方ない。

 任意加入を周知徹底することで得られるメリットは、いずれも本質的なことだ。

  1. PTAが自主的・自発的な組織(つまりボランティア)であると自覚できる。
  2. 「PTAのための会員」ではなく、「会員のためのPTA」だと意識でき、負担が過大にならないよう抑止力が働く。
  3. PTA活動に極度のストレスを感じる人に「逃げ道」を与えられる。
 3番目のメリットは、PTA社会をまったく体験したことのない人にとっては、笑い話かもしれない。でも、実際にPTA活動で心身を病み、通院するような人はいくらでもいる。この連載への投書にもあったけれど、ぼくの身の回りでも起こっている。本当に笑えない話なのだ。都下のあるPTA会長はこういった問題を公にした時、「人権問題」という言葉を使った。

 一方、任意加入の考えうるデメリット。

 まず、PTAがなくなったり、脱退者が続出したりするのではないか、ということ。これについては、はっきりとノーと言える。実際にはPTAはそう簡単になくならない。現にPTAの3割は任意加入をうたっているという調査結果もある(『おそい・はやい・ひくい・たかい』第10号 2001年2月)。任意加入にしたくらいで成り立たなくなるほどPTAはやわではない。

 また、もう一点、よく聞かれるのは、PTA会費から出ている記念品などの問題だ。入学式や運動会の時にPTAがプレゼントを用意するのはよくある話。では、会員ではない保護者の子にもそれを与えるべきか。

 正解は、「PTAはすべての児童のための活動なのだから、会員の子、非会員の子、どちらも区別せずに与える」だろう。「自分の子どもが元気であるためには、『隣の子』にも元気でいてもらわなきゃ」という発想が原則だと思う。とはいえ、実際問題としては、実費だけを非会員の親から出してもらう、という例も多いと聞く。そのあたり、柔軟にやればいい。

■ 「義務」から「機会」への転換


 任意加入をクリアしたとしても、実はそれだけでは足りない。われわれがPTAという場に持ち込んでしまった同調圧力のすさまじさときたら、未体験の人に説明するのが困難なほどだ。だから、ことあるごとにPTAはボランティア(自らすすんで無償で参加する人)による活動だと強調しなければならないと考える。

 そこで、連載第17回でとりあげたボランティア制を取り入れる。できるだけ多くの業務を、義務ではない(しかし責任は生じる)自発的な「ボランティア」に割り振るわけだが、その際に考えなければならないのは、PTAにとって「なければ困る」ものは何かということだ。

 ぼくの考えでは、PTAの必要欠くべからざる要素とは、必要度の高い順に、学年・学級委員会、校外委員会、本部役員だ。新設校にできたPTAをイメージするとよい。まず最初に行われるのは学級単位のPTA活動だ。担任教師とのコミュニケーションは大事だし、同じクラスに子どもを通わせる保護者たち同士の親睦も同様。クラス、学校をよくするために、突っ込んだ話し合いができるようになればしめたものだ。というわけで、学級単位の活動はPTAの基礎。これなしにはPTAは成り立ちにくい。

 一方、校外委員会は、今の時代、子どもの安全を守るという意味で「必要」とされる。もっとも、これは時代とともに変わっていく可能性がある。発足当時のPTAでは、「給食委員会」や「保健委員会」が扱う問題のほうがより切実だと考えられていた。今は保護者の関心事が校外での子どもの安全に集中しており、必然的に校外委員会の重要性が高まっている。

 加えて、本部役員。会計は必要不可欠で、ほかの役職も「いると便利」だ。(実は、会長や副会長は、本当はいなくたっていいんじゃないかと思うことがあるのだが、それはまた別の機会に)

 というわけで、こういったエッセンスの部分をのぞいて、ほかの仕事は「業務ボランティア」(呼称はいろいろありうるだろう)としてしまおう。広報ボランティア、家庭教育ボランティア、印刷ボランティア、ITボランティア……等々。

 委員会と何が違うのかというと、最大のポイントは「誰もやる人がいないなら、その活動はなし」と腹を括ること。立ち上げ時には、「ねえ、やってみない?」と意欲のありそうな人にこっそり声を掛けたりすることになるかもしれないが、それもよし。とにかく「委員会があるから」ではなく、「やりたいからやる」「貢献したいからやる」ことを強調したい。「義務」ではなく「機会」なのだ、とはっきり言ってしまおう。

 メリットとしては、年度初の学級PTAで、委員選びが楽になる。学年・学級委員と校外委員を選べばいいだけだから、みんな下を向いて黙り込む、いわば「無言地獄」の状況が減る。人生最悪の会議体験となりかねないものを減らせるなら、何ごとにも代えがたい。

 それだけではない。広報委員会や文化厚生委員会の仕事(広報誌発行や家庭教育学級開催など)は、モチベーションの高い会員が5人、10人集まったほうが、ずっと効率的で質の高い活動になりうる。やがてスペシャリストが生まれれば、事業の継続性も期待できる。一方、必要性をみとめられない活動は人が集まらず、淘汰されやすくなる。

 もちろん、良いことずくめではないだろう。熱心な人がやりがいを見いだす反面、活動が一部の人に偏りやすくなるかもしれない。それについては、ボランティア制度の先輩である江戸川区の松江小PTAは、各クラスごとの「学期リーダー制」を取り入れたりして対処しているし、相応の工夫はできるだろう。

 「今の若い親は個人主義で、強制でもしないとPTA活動などしない」という異論もあろうが(よくそういう声を聞く)、ぼくは誤解だと思っている。個人の意思を通すことができる「個」としての強さを持った人が徐々にではあるが増えていて、無理のある活動を敬遠しているだけではないか。戦後のPTA発足時、日本にはボランティアという概念そのものがなかった。それが今では、各方面で成立している。自発意識を高めることができれば、子どもの学びと育ちにかかわる「おいしい」活動に人が集まらないはずがない。そんななか、仮にPTAが「強制」なしに成立しないとしたら、活動自体がおかしいと考えるべきだ。
 

■ 「形」ばかりでは虚しいけれど


 以上、「自由な入退会の保証」と「ボランティア制度」を組み合わせることで、強制ではなく、自発的な団体としての枠組みを整備する、というのがぼくが考えるPTAの形。加えて、前回紹介したすみれが丘小PTAの「サークル」など、カジュアルな「入り口」を用意しておけばさらに良い。

 ひとつ確認しておきたいのだが、活動そのものをほったらかしにして、「形」の話ばかりするのは、実は虚しい。冒頭の「運営方針」のようなごく当たり前のことを実現するには、最低限これくらいの仕掛けが必要だと述べるのに、ひたすら力んでしまうのもなんだかなあ、だ。しかし、PTAって、本当に形ごと変わっていかなければ永遠に「このまま」ではないのかという恐怖に突き動かされ、ついこのようになってしまう。

著:川端裕人
(婦人公論 2008.1.22 掲載)

PDF版注釈
 この文書は、川端裕人が中央公論新社の「婦人公論」誌上にて、2007年4月より1年間にわたって連載した(文書作成時は連載中)、「みんなのPTAを探して」をPDF化したものです。多くの人に読んでいただくために、ブログ・リヴァイアさん、日々のわざ にて公開することにしました。このままの形であれば、自由に複製・配布してくださってかまいません。
 なお、このPDF版は、入稿時の原稿を元にして、体裁を整えたものです。誤字脱字などの誤りは、多く残っており、また、細かな点で、雑誌掲載時とは違う部分があることはご承知置きください。
川端裕人
posted by Pさん at 23:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「PTAがないと有能な先生は、配属されない」と、聞きました。「PTAが活発なほど、優秀な先生が長期間在職する」とも。

確かに、吹奏楽や合唱で全国大会に行く学校、算数で評判の高い学校って、いつもあまり変わらないような気がします。
もう何年も前ですが、首都圏の小学校がPTAを業者に委託したところ、とたんに先生の質が下がって、保護者がPTAを再開したといううわさを聞きました。

各学校が所属するPTA協議会というのは、教育委員会ともつながりがあるのでしょうか。
もし、教員の人事に関して、PTA活動が影響するというのであれば、よほどPTA活動に関心を寄せて下さる校長や教頭が配属されない限り、PTAの改革は、とても難しいと思います。
または、PTA会長が心身ともにかなりのパワーがないと。

反対に、PTAによって、教職員人事が左右されると明言されたら、保護者の関心は高くなるだろうな、と考えたりもします。
その上で、任意参加です、と呼びかけたら、納得して加入する保護者も多い気が・・・。
Posted by kero1965 at 2008年03月18日 09:28
keroさん、いつもコメントありがとうございます。

> 「PTAがないと有能な先生は、配属されない」
> 「PTAが活発なほど、優秀な先生が長期間在職する」

なるほど…。
これを読んで思ったのですが、「活発なPTAが、良い先生を育てる」というようなことはありそうな気がします。
「ロクでもないPTAが、先生のやる気をスポイルする。」というのは、さらにありそう。

そう考えると、PTAには「学校を育てる」(ちょっとおこがましい言い方ですが)機能があるのですね。
あぁ、そういえば岸裕司さんの秋津コミュニティなんていうのは、まさにその好例。

一方で、学校側はそのようなPTAの機能を拒否するように、頑なに身を強張らせている面もあるのではないか、と勝手に想像が膨らみます。

とりとめのない、断片的な感想で、すみません。

ところで昨日発刊された婦人公論で、ついに1年に渡る連載が終了しました。(まだ読んでいませんが)
少なからず、現場に影響を与える内容だったと思います。少しでも多くの方に読んでいただきたいので、ぜひまわりの方にもご紹介ください。
(余談ですが、先月から今月にかけて、第7回の役員選びの会が多く読まれているようです。「時期」なんですね…!)

この場をお借りして、川端さん、1年間の長丁場お疲れ様でした。
余裕のあるときにでも、ぜひ総括なんぞいただけるとありがたいです。
Posted by Pさん at 2008年03月23日 07:18
初めてメールいたします。
友人に「ある新聞に「PTA進化論」、本当のことが書いてあるよ。」
と言われて、読んでみて
びっくり、我が意を得たり!と感動いたしました。
本当に嬉しくなりました。
そして、川端先生の仰るような、PTAに改革したく、
PTA会長になりたくてなりました。(変な決め方で…)
しかし、後悔しています。
現在は孤独です。
ひとりぼっちで悩んでいます。
主人にいったら、
「もう数日様子見て、お前の精神がおかしくなりそうだったら、自分が、断りいれてやる。」
と言ってくれています。
川端先生、一歩どう踏み出していったらよいか、
教えてくださったら、勇気が出るかもしれません。
Posted by ひとりぼっちの子羊ちゃん at 2009年03月10日 14:19
ごめんなさい。悲痛なコメントをスルーしてしまっていました。

どうすればいいか、というのは諸状況もわかりませんし、わかったとしてもご自身が身近な方と相談しつつ決めるしかないと思われますが、ひとつだけ普遍的なこととして言えるとすれば……

ご無理は禁物

ということだと思います。

もしも、だれも共感してくれず、身動きが取れないなら、一歩、引いてみてもよいのではないでしょうか。
だって、「おかしくなって」しまったら、もともこもありませんから。

Posted by カワバタヒロト at 2009年03月17日 21:00
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