川端裕人さんの「みんなのPTAを探して」(「婦人公論」連載:2007/4〜2008/3)のバックナンバーを「ブログ版」として公開しています。(著者公認)
 はじめていらっしゃった方は、まずは著者本人の「ごあいさつ」をお読みください。
管理人:Pさん
 

2008年05月23日

第22回 「地域って何?」問題にいまのところの結論


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 「地域」と言ったときに、思い浮かぶ顔が町会長であるよりも、
むしろ年齢がそれほど離れていない「子育ての先輩」であるほうが自然ではないだろうか。
 PTAでも、卒業した保護者が希望によって残留できる仕組みがあってもよい。


■ 秋津コミュニティの実践に学ぶ


 昨年の春、PTA役員として活動し始めた直後、「地域って何だろう」という思いにとらわれた。目下、PTAは地域活性化の鍵となる団体のひとつとして期待されている。「開かれた学校」「地域にねざした学校」「学社融合」といった言葉に象徴されるように、地域ぐるみで教育にかかわるビジョンがあって、そのときPTAは学校と地域を結ぶ懸け橋として機能しうる、という。

 理念としてはよくわかる。でも、具体的に誰と何をどうするのか、が見えない。

 とはいえ、そろそろいったん考えをまとめたい。連載のインタビューなどを通じて、秋津コミュニティ岸裕司さん、杉並区立和田中学校藤原和博校長ら(ともに地域をめぐる実践で知られる)の薫陶も受けているわけで、昨春よりずっと視野は広がっているはず。もやもやした部分を抱えつつも、一歩踏み出そう。
 
 まずはぼくにとって、「PTA・学校・地域」についての考察の原点ともいえる秋津コミュニティについて。岸裕司さんの『学校を基地に』(太郎次郎社)『「地域暮らし」宣言』(太郎次郎社エディタス)などを読むと、保護者と学校がうまくかみ合えば、実にすごいことが起きるのだと、驚き、また勇気づけられる。

 概念的にいえば、こんなかんじ。

 小学校の保護者たちが飼育小屋の新築などで学校に協力するうちに、「子縁」の絆を深めて、学校内で活動するクラブを作った。工作、パソコン、陶芸などなど。これらのクラブのメンバーは、やがて、学校のクラブ活動(つまり、子どもたちのクラブ)などにも指導者として加わり、自分自身の子どもが卒業した後も、当人は「卒業」せずに、学校に足しげく通うようになった。学校の中にPTA室のような「コミュニティルーム」もできた。「地域大運動会」や「大音楽祭」といった地域行事もそこから生まれ、なにより、小学校を「中心」であると明確に意識する地域共同体ができ上がった……。

 学校と保護者の関係から始まって、やがて「地域」の人たちまで入り込み、学校教育と生涯学習が表裏一体、渾然となって進んでいく。その楽しさ、痛快さ、凄み、といったらない。PTAとは「子どもの学びと育ちにかかわり、みずからも成長したいと願う大人」の会だとぼくは思っているので、1990年代に秋津で起きたことは、まさに「わが意を得たり」だ。

 最近のPTAの傾向として、前述のように、保護者と学校、地域が密接にかかわって教育を創り上げていこうという気運があるから、秋津コミュニティを彷彿させるPTA活動、地域活動は増えている。

 ぼくが住む世田谷区でも「地域とともに子どもを育てる教育」(世田谷区教育ビジョン)が教育施策の第一の柱とされており、事情は同じだ。

 なのに、なにかが違う。岸さんと話したり、秋津を訪ねても(工作クラブが活動する週末にお邪魔したことがある)、「もやもや」は解消されるどころか、ますます大きくなる。

■ 藤原校長の「地域本部」


 そんなとき、お会いしたのが和田中藤原校長。「校長にとってPTAとは」というテーマでインタビューした際(本連載第15回)、当初の話題を超えて「地域」について聞くことができた。和田中での取り組みについてご存じない方は藤原校長の『校長先生になろう!』(日経BP社)や『バカ親、バカ教師にもほどがある──子ども化する大人たち』(PHP新書、ぼくとの「共著」)を読んでいただきたいのだけれど、荒っぽく言えば、校長自身による「よのなか科」という公開授業や、「地域本部」という、まさに「地域」によって運営される学校支援グループがあるのが特徴。

 せっかくなので、ここでは、地域本部の成り立ち、活動、射程について、藤原校長みずからに語ってもらおう。

──実務上の悩みなのですが、地域との連携と言われても、具体的にイメージできないんです。地域って誰? って、ときどき思うんですね。

藤原 そう思うのも不思議じゃないですよね。通常、学校関係者にとって「地域」というのは、まず町会長、商店会長。それから児童委員、青少年委員、民生委員、保護司といったあたり。いろいろ役があるけれど、監督省庁がバラバラなんです。児童委員・民生委員が厚労省、青少年委員が文科省、保護司が法務省。
 学校の評議委員会といっても、たいがいは町会長、青少年委員のようないわゆる地域の有力者が入ってくる。ほとんどが身内のため、チェック機能が働きません。ですから、地域運営学校やコミュニティスクール学校運営協議会には、ビジネスマンや大学の関係者、学識経験者、あるいは文化人を入れなさい、ということになっています。


──でも、和田中の地域本部は違いますよね。

藤原 いわゆる「地域」の人たちは、防災や防犯面ですごく大事な役割を担っているので、外にいてもらいます。彼らと比べ、もう少し学校の中にかかわってくれる人の集まりが地域本部。放課後の図書室の開放や土曜日の寺子屋(地域ボランティアによる授業)にかかわってもらったり、ときにはゲストティーチャーにもなってもらう。生徒たちの学びを豊かにするためにはすごく大事だけど、先生がやるとちょっと片手間仕事になってしまう、ということが学校にはいっぱいあるわけです。
 英検準2級をめざす英語のスペシャルコースの講師を町会長や商店会長にお願いしても無理ですよね? 70代の方もいらっしゃいますし、そんなエネルギーはない。そこで教師志望の大学生と、PTAのOG・OBで活きのいいおばちゃんたち、それからおじいちゃん・おばあちゃんといった顔ぶれで、地域本部を形成しているわけです。常時、60から70人のボランティアが動いてます。


──岸さんの秋津コミュニティに似ているところもあります。ぼくの場合、秋津コミュニティを先に見てしまって、地域というとまずそのイメージが……。

藤原 あれはね、なんていうのかな、音楽でいうと、ジョン・レノンを最初に聴いてしまうようなものだから。(笑)

■ 保護者を味方にせずどうする


──和田中の地域本部はどのようにでき上がったのですか? 藤原校長が、それこそビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンみたいな魔法を使ったのでしょうか。

藤原 ビートルズというより、ゴレンジャーだね。志のあるゴレンジャー。最初の立ち上げのときは5人で、5年かけてここまできました。学生で教師になりたいひと、PTAのOGのお母さん、それに、帝国ホテルのケーキを作るシェフなんだけど、水曜日が休みだから、水曜日だけは出てこられるお父さん……そういう人たちでした。町会長や商店会長じゃないんですよ、最初の5人は。

──それは、PTAで知り合った?

藤原 いえ、「よのなか科」の授業に参加してきた大人たちですね。ただ単に「地域本部を作るからこの指とまれ」と言ったって無理。毎週毎週授業を公開しているところがミソなんです。しかも、ただ単に参観するのではなく、一緒に参加して一緒に学べる、それが効きました。「よのなか科」の授業はもう5年続いていますけど、地域本部の陣容はほとんどこれで集めていますね。

──とはいえ、すべての校長に「よのなか科」をやってくれとはなかなか言えません。ふと思ったのですが、ときどき、保護者が土曜日学校の指導を頼まれることがありますよね? パソコン教室とか。そういうときに、まず校内で活動する保護者のパソコンクラブを作らせてもらって、活動の成果を子どもたちに還元するスタイルをとれないかなあって。秋津のやり方に似ていますが……。

藤原 それは、すごく頭のいいことだと思います。「よのなか科」がなぜ大事かというと、いわば「出島」なんですよ。他の授業が年に3回くらいしか開かなくても、ここはいつも開いている。今週は出席できなくても、来週出ればいい。そういうことが大事なんですよね。

──魅力のある公開授業とか、クラブ、サークルの類いが、新しい人を呼び込む出島になりうるわけですよね。

藤原 秋津コミュニティの岸さんは、学校全体を使って、全面展開ですよね。「全部出島だ」と。でもそれは普通の人はできないので、場所としては、コンピュータ室か図書室を使う。以前、ぼくが別の学校でやったのは、コンピュータ室を「出島」にして、コンピュータの扱いができるお父さんたちを集めたんです。するとそこにお母さんたちも集まってきた。ぼくが和田中に移っても、その活動は続いてますよ。そういうふうに、出島をひとつ作る。教員がなかなかカバーできない、コンピュータ室とか図書室を出島化するのが一番いいのではないかな。

──秋津のように「卒業しない親」というのはいないんですか。

藤原 もちろんいますよ。地域本部を立ち上げてくれたのは、元PTA会長です。優秀なシステムエンジニアだった女性で、結婚して専業主婦になり、3人目の末っ子が和田中の3年生でした。上の子はもう高校生・大学生です。彼女のような人は、末っ子が中学卒業して、じゃあパートを始めるかというと、そうはならないわけですね、仕事を相当やった人だから。そこで、地域本部を立ち上げる仕事を、ぼくとタッグを組んで見事にやってくれた。他のPTA役員も、それぞれ看護師の経験があったり、企業のクレーム対応の窓口の経験があったりする人たちでした。子どもにかかわるのが楽しいとわかったら、自分の子が卒業しても学校に残ってくれる。これを味方にしないで、なにが学校経営だと思う。

■ 「卒業しない親」を大事に


 というわけで、ぼくが地域について持っていた違和感は、現時点での結論を言うなら、いわば「思い違い」だ。天才的な発想と行動力で道を拓いた先輩をたまたま先に見てしまったために、ごく普通の「地域」に物足りないものを感じてしまっただけ。

 そのうえで、ぼくが大事だと感じる3つのことを、書き留めておく。

 「地域の人」のうち「卒業しない親」というカテゴリーを大切にしたい。青少年委員や民生委員は数も限られているし「公」の役割を背負っている立場だから、保護者のほうからみると壁を感じる場面もあるだろう。その点、子どもが学校を出たあとでも、学校・地域の子どもたちに「気持ち」を残してくれるような「卒業しない親」たちが仲間なら、そういった壁も低い。「地域」と言ったときに思い浮かぶ顔が、町会長であるよりも、むしろ年齢がそれほど離れていない「子育ての先輩」であるほうが自然ではないだろうか。だから、PTAでも、卒業した保護者が希望によって残留できる仕組みがあってもよい。

 そして、もう一点は、藤原校長の言う「出島」。コンピュータ室でも図書室でも、他のなにかでもいい。知らず知らず学校に引き寄せられて、気がついたら学校通いが日常になっていた、というかかわり方ができないものか。義務ではなく、またいわゆるあて職でもなく、志のある人が中心にいるからこそ、和田中の地域本部や秋津コミュニティは頑健なのだ。いかに「地域にねざした学校」といっても、かかわる人たちが固定されてしまい、ほかの人たちが参画の余地もないというのでは、いずれは形骸化する。

 そして、最後に、地域だろうがPTAだろうが、子どもにかかわる活動そのものが、大人にとっての学びでありうることを強調したい。生涯学習のクラブが学校にかかわる秋津でも、「よのなか科」の授業や「土曜寺子屋」に参加することで、教えつつ学ぶことが実感できる和田中でもそうだ。ただ一方的に子どもに教育を施す発想ではなく、自分も成長できること。これが活動に加わる最大の「メリット」とも言えるのだ。

 以上のような3点を押さえていないと、学校・PTA・地域の関係は、絵に描いた餅なってしまうと感じており、まさに課題だ、という認識が、ぼくの「1年目」の到達点だ。

著:川端裕人
(婦人公論 2008.3.22 掲載)

PDF版注釈
 この文書は、川端裕人が中央公論新社の「婦人公論」誌上にて、2007年4月より1年間にわたって連載した(文書作成時は連載中)、「みんなのPTAを探して」をPDF化したものです。多くの人に読んでいただくために、ブログ・リヴァイアさん、日々のわざ にて公開することにしました。このままの形であれば、自由に複製・配布してくださってかまいません。
 なお、このPDF版は、入稿時の原稿を元にして、体裁を整えたものです。誤字脱字などの誤りは、多く残っており、また、細かな点で、雑誌掲載時とは違う部分があることはご承知置きください。
川端裕人

posted by Pさん at 06:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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